企画 / 台本:演出 / 授業指導 古川精一
▪️このオペラ舞台作品の成立の経緯
私がこのオペラ舞台作品を作ろうと決めて発案し、企画構想を練り始めて台本を完成させてから4 年目の平成31年(2019年)1月18日、ようやく初演の舞台を迎えることができました。さらに、慶應義塾大学文学部寄付講座(単位認定授業)として、このオペラ作品を一般大学の授業としての開講を私が大学側に提案して、授業として確立実施させていただけるようになってから約1年後の初演でした。作品完成と上演までの4年間、これは長い道のりでした。
またさらにその初演から8ヶ月後の令和元年(2019年)9月14・15日、台湾台南市において、最初の海外公演を行うことができました。これは、もともと私が日台文化親善交流を東日本大震災(2011年)発生以降、継続的に続けていたことに端を発して、中華民国声楽家協会常務理事辛永秀女史と国立成功大学楊教授からご縁をいただき台南市政府文化局との連携を作ることができたからです。
このオペラ舞台作品のテーマは中国残留孤児物語。ある一人の、祖国日本に帰国を果たした残留孤児と、孤児たち1500 名の日本国籍取得に情熱を傾けた一人の日本人弁護士の物語です。すべて実在の登場人物と、その方々の実話に基づいた物語。私はこの作品の台本を完成させるのに3年かかりました。
これは、戦争に翻弄された方々の歴史を後世に残すために、オペラという舞台 芸術を通じて世の中に残すひとつの試みです。さらに、戦争を知らない現代の 学生に、オペラという舞台芸術に取り組ませることによって、精神の奥底から その歴史を学ばせる機会を与えることをも目的としました。
▪️このオペラ舞台作品を作った理由
もともとなぜ私がこの「中国残留孤児」史実をテーマにしたオペラ作品を作ろうと考えたのかは、1995 年 NHK が日中共同制作としてドラマ化した、中国残留孤児物語「大地の子」(山崎豊子原作)によって、残留孤児の実態を知ることとなったからです。当時は新人俳優だった上川隆也氏が、主人公の日本人中国残留孤児「陸一心」役を、流暢な中国語と迫真の演技で演じきり、あたかも一人の残留孤児の人間ドキュメントを見ているかの如く、私はその彼の姿、眼差しに心から引き込まれたからです。さらに、中国映画界の重鎮俳優、朱旭が演じた陸一心の中国養父役「陸徳志」の、一心を実の息子と慈しむ大地の心に、深く心を揺り動かされたからです。
私は、祖国に帰国を果たした残留孤児ひとりひとりに、実際にこのようなドラマがひとつひとつ存在するはずだと考えました。私はこの時から、いつかこの残留孤児物語をオペラ舞台作品にして、後世に史実を継承すべきだと考えるようになりました。舞台空間芸術には、演じるものの気迫と、それを受けとる側の観客の感性が「感動の共振」となって絆を作る特性があるからです。さらにその絆こそが、史実を次の世代に受け継いで行く原動力となる可能性を秘めているからです。
私は最初に、このオペラ作品を台湾の一人の重鎮作曲家に作曲してもらうつもりでした。台湾においても、戦争に翻弄された日本人の史実がひとつ継承できると考え、そのことによって、日台中のコミュニティが構築できるのではないかと考えたからです。実際に台湾で活躍の大学の先輩に紹介していただいたその作曲家とも、私は台湾の有名なお酒を酌み交わしながら作品構想を共有していました。
しかしある時、私の知人が主催するパーティーにて、その知人がとある弁護士を次のように紹介しました。
「この人は中国残留孤児の日本国籍取得のために、一人で 1500 人の残留孤児たちの身元引き受け人になって、これらの人々を助けました」
私はこの一弁護士の偉業に感銘をうけました。戦争に翻弄された日本人残留孤児を助けたこのような日本人がいたのかと。即座に私は、かねてより構想を練っていた残留孤児物語のオペラ作品の主人公を、この弁護士と、この弁護士によって救われた残留孤児の物語にしようと決めました。このような偉業と史実こそ、後世に伝え残されるべきと考えたからです。さらにその史実に深く意識を置くことによって、戦争に翻弄された人々の歴史に心を寄せ、これからの我々の未来について熟考すべきと考えたからです。
私はすぐにその知人に、「実は残留孤児をテーマにしたオペラ作品を作りたいとずっと考えていたので、ぜひあの弁護士を紹介してほしい」と頼みました。
知人はすぐに、食事会をあらためて企画してくださり、その弁護士と面識を持つ機会を作ってくれました。
この弁護士は、わたしの「残留孤児オペラ制作構想」に大変興味を示して賛同してくださり、快く全面的に協力する旨申し出て下さいました。
▪️このオペラ舞台作品の制作経緯
早速、この弁護士と、この弁護士にご紹介いただいたひとりの残留孤児との、台本作成にあたっての史実を聞きとり、時代考証作業を始めました。
さらに私は、このオペラ作品を、大学授業として、プロフェッショナルではない一般大学の学生に取り組ませることを考えました。現代の学生にとって、もはや戦争と戦争に翻弄された人々は、もうすでに過去の存在として歴史の彼方に消し去られているからです。この現代に、あらためて過去を振り返り、戦争と戦争に翻弄された方々の人生にオペラという舞台芸術を通じて深く携わる機会を創ることは、現代学生の人生に何らかのエッセンスを与えることになるのではないかと考えたのでした。
慶大大学院メディアデザイン研究科博士課程にてミュージックプロジェクトリーダーとして、音楽とコミュニティデザインを深く研究していた水上寿美江さんに、このオペラ作品を学生への教育の一貫としてとりあげたいということを共有して、さまざまな角度からアドバイス頂きました。この「オペラプロジェクト I,II」授業は、水上女史と慶大アートセンターの粂川麻里生教授が築いてきた慶大大学院メディアデザイン研究科ミュージックプロジェクトの研究成果が核となっています。
▪️このオペラ舞台作品と慶大文学部単位認定講座について
このオペラ作品を題材にして、本講座発足以来一年半にわたり、舞台声楽発声の基礎から、舞台演技の基礎まで、受講学生に一からオペラを指導しました。主役から合唱まですべて慶大生によるオペラ公演です。最初の授業で、「中国残留孤児」のことを知っているかと受講学生に聞いたところ、聞いたことがあるという学生は、35 名中わずか2名。さらにその2 名に、「ではどの様な事実?」と聞くと、その2名は「わからない」と答えました。歴史は、こうやって儚く消えてゆくのだということを実感しました。
▪️このオペラ作品と授業内容
その後、オペラ制作にとりかかる準備段階として、この授業時間内において、 中国残留孤児の歴史概要について、ならびにその発端となった戦中の日本国政府による国家総動員法(昭和13年制定)をはじめ、国策の「分村移民計画」の成立、「満蒙開拓団」「満蒙開拓青少年義勇軍」の募集と実態、「大陸の花嫁 100 万人計画」、学徒動員令と同日に法制化された「女子挺身隊勤労令」(昭和19年制定)などについて、この受講生全員によるレポート発表会を行いました。さらに踏み込んで、昭和 20 年5月には、大日本帝国大本営はすでにソ連参戦の時には満州の3/4を放棄する方針を決定(ソ連参戦は同年8月)、避難勧告令は出されることなく、そのまま大陸に滞在命令が出された中で、国策により大陸に居住させられた27 万人の日本人が母国により棄てられた構図など、残留孤児の起因について、各自調査させてレポート発表会を行いました。
▪️作詞、作曲について
このオペラ作品の、アリアと重唱部分の作詞は、私が声楽を指導しているご縁から、作詞家の吉元由美さんにお願いしました。そして作曲は、この作品の主人公の一人、河合弘之弁護士にご紹介頂いた新垣隆さん。お二人とも、私の意図と物語の筋展開を深く理解してくださり、数えきれない打合せを経て、見事な言霊と魂を揺さぶる旋律を奏でて下さいました。
▪️このオペラ舞台作品の初演について
一年間、心の奥底から物語の主人公になりきることに情熱を傾け、舞台表現に情熱を傾けてきた現代学生たちによる残留孤児物語。この作品の初演によって、彼ら現代学生のとりくみと努力によって、こうして一つ、歴史は継承されました。
慶應義塾大学メディアデザイン研究科博士過程にて、音楽の可能性と意義の追究に取り組み、この授業開講の下地を築き上げた水上寿美江さん、さらに、私の小さなとりくみに大きな理解を示してくださり、文学部単位認定授業としてこの授業開講に学内外の多方面に働きかけてくださった文学部粂川麻里生先生、 ならびに、受講学生への特別個人レッスンや舞台稽古の教室予約、およびオペラ公演準備に連日ご協力頂いた慶大学生部文学部・文学研究科担当の山本晴道氏に心よりお礼申し上げます。 そして、数々の艱難辛苦に耐えて祖国日本への帰国を果たした、このオペラ 作品主人公の池田澄江さん(中国名:徐明)および、1500 名残留孤児の日本国籍就籍に取組んだ河合弘之弁護士の偉業に、初演を捧げたいと思います。